| 催行形式 | 貸切ツアー |
| ガイド形式 | ガイド付きツアー |
| 観光のジャンル | まち歩きガイドツアー、史跡・名所巡り |
| 交通手段 | レンタサイクル |
集合場所、ピックアップ場所、ピックアップ時間に関する最終情報については、バウチャーを参照してください。
集合場所の説明:教会の広場に「レンタサイクル」の看板が付いたタンデム自転車があります。現地パートナーのオフィスは中庭にあり、そこからツアーが始まります。ツアー開始時刻の15分前までに集合場所にお越しください。(Poststraße 11, 10178 Berlin, Germany)
事前にご確認ください:料金はグループ単位です
ツアー中は約15kmを移動します。
ルートプランは変更される場合があります
非常に悪天候の場合は、ドイツ気象局の悪天候警報に基づき、お客様または現地パートナーがいつでも無料でツアーをキャンセルできます。
悪天候の場合に備えてレインポンチョをご用意しております。
子供用自転車、チャイルドシート、トレーラー付き自転車をご用意しております。
持ち物:動きやすい服装と靴、水
ベルリンの壁は、冷戦下の1961年8月13日に東ドイツ政府によって建設されました。その主な目的は、西側への大規模な人口流出、特に経済的・知的エリートの流出を阻止することでした。東西ドイツ間の緊張が高まる中、東ドイツが自国の国民を封じ込めるための物理的な障壁として機能し、東西ベルリン、ひいては資本主義と社会主義世界の分断を象徴する存在となりました。
第二次世界大戦後、ドイツと首都ベルリンは、連合国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)によって分割占領されました。ベルリン市内も同様に東西に分かれ、それぞれ西側連合国とソ連が管轄しました。これにより、ベルリンは冷戦時代の東西対立の最前線となり、異なる政治体制とイデオロギーの衝突が具現化する場所となりました。
ベルリンの壁は1989年11月9日に崩壊しました。東欧諸国で民主化運動が高まり、ハンガリーやチェコスロバキアが国境を開放したことで、東ドイツからの脱出者が急増。大規模な市民デモが続く中、東ドイツ政府は旅行規制緩和を発表しましたが、会見での当局者の誤解釈により、事実上の国境開放と受け止められ、多くの市民が壁に殺到。東西ベルリンの人々が再会を喜び合いました。
東サイドギャラリーに描かれた「兄弟のキス」として知られる有名なアートワークは、ロシア人アーティストのディミトリ・ヴルーベルが手掛けたものです。正式名称は「My God, Help Me to Survive This Deadly Love(わが神よ、この死に至る愛から私を生き延びさせたまえ)」といいます。この絵は、ソビエト連邦のブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー国家評議会議長が抱擁しキスを交わす写真を元にしており、共産主義国家間の連帯を表しています。
ベルリンで第三帝国関連史跡を自転車で巡るツアーでは、国会議事堂(ライヒスターク)、ブランデンブルク門、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(ホロコースト記念碑)、ゲシュタポとSS本部の跡地である「テロのトポグラフィー」博物館、そしてヒトラーの総統官邸跡地など、重要な歴史的スポットを訪れることができます。自転車で効率よく巡り、それぞれの場所でガイドの説明を聞くことで、当時の歴史的背景を深く理解できます。
ベルリンの壁の歴史を感じられる主要な見どころとしては、現存する壁の最長部分であり、世界各地のアーティストによる壁画が描かれた「イーストサイドギャラリー」が挙げられます。また、壁の建設から崩壊までの歴史を包括的に学べる「ベルリンの壁記念館」、かつての東西国境検問所であった「チェックポイント・チャーリー」も必見です。これらはベルリンの分断と統一の象徴として、多くの訪問者が訪れます。
ベルリンは比較的安全な都市ですが、観光中は一般的な注意が必要です。特に夜間や人通りの少ない場所、また一部の公園(例えばゲルリッツァー公園周辺など)では、薬物関連の軽犯罪や置き引きが発生することがあります。貴重品の管理を徹底し、見慣れない人に声をかけられても安易に応じないなど、基本的な防犯意識を持つことで安全に観光を楽しめます。
ベルリンでの自転車ツアーに参加する際は、動きやすく快適な服装と、天候に応じた防寒着や雨具をご準備ください。日差しが強い時期には日焼け止めや帽子、水分補給のための飲み物も忘れずに持参しましょう。また、身軽に移動できるよう、貴重品はコンパクトなリュックサックなどにまとめて携帯することをおすすめします。ツアーによってはヘルメットが提供されますが、個人で用意することも可能です。